旅立つ二人

生涯シクサー、生涯娘。だと信じていた二人が、
ほぼ時を同じくして古巣を飛び立つ宣言をした。



「変わるときが来たんだ」



と言ったのは、12月19日にデンバー・ナゲッツにトレードが決まったときの
アレン・アイバーソン
わたしはまだ、その言葉を受け入れられずにいる。


アイバーソンがNBA2年目の97-98シーズン。
世界中がマイケル・ジョーダンの「ラストダンス」に酔いしれていたそのころ、
若かりし日のアイバーソンのプレーに一目ぼれした。
そしていっぺんに、アイバーソンがいるフィラデルフィア・セブンシクサーズ
好きになった。
笑っちゃうくらい弱いときも、泣けちゃうほど傷だらけで栄光をつかんだときも、
アイバーソンが逮捕されたときも、そして今またリーグ最弱のときも。
文句を言いながら、愚痴を言いながら、それでもずっと、好きだった。


わたしは今なお、混乱のさなかにいる。


アイバーソンが去ったシクサーズを愛せるか。
アイバーソンを受け入れたナゲッツを愛せるか。
シクサーズを去ったアイバーソンを愛せるか。
ナゲッツアイバーソンを愛せるか。


愛せるかと自問するのは、今現在のシクサーズアイバーソンを愛せていないから。
9年間応援し続けてきた思いは、「変わるときが来たんだ」の一言では
とても片付けられやしない。




「ついにこんな日が、こういうときが来た」



と言ったのは、1月2日のワンダコンで卒業を発表する直前の吉澤ひとみ
わたしはその言葉をすんなり受け入れ、これからも変わりなく、
彼女の行く道を一緒に歩いていきたいと思っている。
何一つ揺らぎない気持ちが、自分の中にある。


今、アイバーソンシクサーズに対して抱いているもがれるような思いは、
7.31、そして9.23のときに嫌というほどした。
それまでのわたしは、よしごまありき、プッチありきのモーヲタだったから。
純粋に応援する気持ちを事務所にこんな形で踏みにじられるのなら、
もうファンは続けていけないし、続けたくないとさえ思った。


それでもわたしの目は、吉澤ひとみを追い続けていた。
枠、箱、他者とのかかわり、一切取っ払ったところでよっすぃ〜が好きだった。
本当の意味で「吉ヲタ」になったのは、9.23からだったと思う。
2003年夏の富士急で復活の気配を感じ、2004年春に復活を確信し、
2005年春に大人としての独り立ちを見届けた今、生涯娘。だと信じてきた
吉澤ひとみが娘。を去ることになっても、そこに一抹の寂しさはあれど、
応援していく気持ちに少しも変わりはないし、彼女の明るい未来を信じていける。



「変わるときが来たんだ」



意志あるところに道はあり、よっすぃ〜はきっと、自らの歩く道を拓いていける。